たんじゅん農
TR比
地上部と地下部の比率を表す言葉です。
理想は1:1だと教えていただきました。
これを頭の中でイメージした時に、なるほどと感じた事があります。
上を作る為に根がある。根を育てるために上がある。
森林を見た時に、誰も肥料を与えず、誰も農薬をまかないのに、毎年青々と育ち、虫や病気にも負けない植物がそこにあります。
しかしながら、人が手を加えて介在したところは、効率化を図って同じ品種・同じ植物などをまとめて植える傾向にあります。
土壌はバランスを保つために、いろいろな植物を引き寄せ成長させその有機物を微生物によって堆肥化させていくとイメージしています。
いろいろな植物が勝手に生えているのは、土壌がバランスを安定させるために呼び寄せていると私は推測するわけです。
そこに育つ植物もまた、土壌に生かされていくとき、植物自体のバランスが重要です。
そのバランスを表すのがTR比なのかもしれません。
健全な地上部には、健全な地下部が必要です。
その育つ生長の流れを、たんじゅん農から学び、ファスティング農業というジャンルを見出しました。
不要なものが多すぎる。
近年断捨離がはやるように、ファスティングがはやるように、不要なものをまずは排除し、自らデトックスする力を備えることが、重要なのかもしれません。
作物たちも排毒できる力を備えて不要なものを排毒し、人もまた排毒できる力を備えて不要なものが体の中に入ったとしてもきちんと体外へ出す。これができれば多少の事では命が揺らぐことはないかと思います。
残念ながら、排毒しきれないのに毒素がどんどん蓄積するような世の中です。
誰の為の人生でもない、自分の為にまずは命の仕組みを考えてみる時にあるのかもしれません。
Agriculture making full use of the forest mechanism
森林メカニズムを最大限に活用した農業、
これが(有)川原農産の目指す究極のカタチです。
森をイメージしてください。
誰かが肥料を撒いたでしょうか?誰かが農薬を散布したでしょうか?
人が肥料を与えなくても、そこに生きる植物は毎年青々と繁茂しています。
人が農薬をまかなくても、害虫にも勝ち残る力強さを持った植物があります。。
これを田畑に生かそうという、たんじゅん農(炭素循環農の法則)に平成28年に出会いました。
いわば、有機肥料も化成肥料も、肥料と言うものを使わない農業です。
しかしながら無肥料栽培や無化学肥料、無施肥など専門用語や、たんじゅん農などは、一般的に知られておらずそれがなんであるかが多くの人がイメージできません。
そこで、簡単に森のしくみの農業と仮に名付けてみます。
森のしくみの農業は、人工的な手法で行う近代農業と、自然の力に任せる自然農の間の農業であると思ってください。
なぜすっきりと自然農にシフトしないかと言うと、収穫量が安定していないからです。
(有)川原農産はプロ農家として、お客様への良質な食の安定供給も重要なミッションとしております。
かと言って化成肥料と化学農薬のみで行う近代農業を行うわけでもありません。
人生の選択も同じですが、0か100かの判断ではないはずです。
時と場合によって使い分ける柔軟さが大切だと思っております。
動植物も、我々人類も、生命の本質は皆、命を未来へ繋ぐことにあります。
未来へ繋ぐときに、何をどうすべきなのか?私共(有)川原農産は常に考え、軌道修正しながら歩んでいます。
今の最善策は、未来の最善策となるとは限りません。常により良いと思う道を模索します。
だからこそ、(有)川原農産は育む命を我が子のように例えながら常に目配りをしていきます。
生命のしくみは、人も動植物も、ましてや土までもが同じ法則の下にあると考えています。
それではなぜ、このような道に進むのかをお話しましょう。
1.子どもの体と植物のカラダと物質界の法則
をまずは考えてみましょう。
どれも、実はバランスを整えようと働いていると思いませんか?
均衡が崩れると、人の体は病気や怪我につながり、植物のカラダもまた病害虫に蝕まれたり、これが土壌で考えると砂漠化する方向でもあるかもしれません。
全ての物質がその場で崩れることなくあるのは、ある種のバランスが取れているからだと思います。
肥料を人間界の物質で置き換えるなら、私はサプリメントだと思っています。
化成肥料は純度の高い化学式で表せられるようなサプリ。
有機肥料は自然由来のもので作られたサプリ。のようなイメージを持っています。
一般的に植物の生長に必要とされる肥料の3要素は「窒素・リン酸・カリ」です。
では人間の三大栄養素は?
「たんぱく・脂質・炭水化物」です。
では、この3大栄養素だけでは人間の体は構成できるかと言えばできないですよね?
だからサプリを飲むのでしょうと言う方もおいでかもしれませんが、少々お待ちください。
植物も3要素だけで、植物のカラダは構成できるのでしょうか?
私は無理があると思っています。つまりはその他のたくさんの要素がバランス良くプラスされて初めてカラダの均衡を保てるのだと仮説しています。
2.無肥料で育てるという事
自然界の植物たちは、誰かから肥料を与えてもらっているわけではありません。
無肥料で育てていくというのは、自然のやり方に沿った流れを田畑に応用していこうというものです。
収穫物は田畑から持ち出せば、その成分が足りなくなってしまうじゃないか?
と言われることもあります。
しかし水や大気、光などは同じ場所にとどまっているわけではなく、外から入り込んでくるものです。
成分という部分でとらえるのではなく、エネルギーという形でとらえると、ゼロではないし、植物たちはそのエネルギーを物質化してくれているように感じています。
かといって、すべてを自然に任せた自然農で取り組むことは考えておりません。
どんな時でも、お客様の命に直結する食をお届けし続ける責任をもって、私ども(有)川原農産取り組んでいかねばと考えています。
常に師は身近にありと考えています。
私たちの想いが、皆様の健康にお役に立てることを願いながら日々のお世話をさせていただきます。
なぜ?無施肥(無肥料)栽培
(有)川原農産では、平成28年よりたんじゅん農を採用し、無施肥(むせひ)によるお米の栽培は今年で3年目となります。
なぜ無施肥なのか?
一般的に肥料を入れなければ作物は育たない。と考えられております。
しかしながら、その一般常識とは逆行した動きをなぜとるのかと言われれば、納得した理論と言うか仮説があります。
以下は、(有)川原農産 代表の川原應貴の仮説です。
全ての物質は、自然の法則にそってバランスを保とうとしています。
例えば、自分の体をイメージしてください。砂糖を使った料理や飲み物を飲食すると、血糖値が急上昇します。
身体は、血液中の血糖を正常値まで下げようとインスリンを分泌します。
これと同じように、田畑の土もまた理想のバランスを保とうと、必要に応じた雑草が生えると言われています。
肥料の三要素(窒素・リン酸・カリ)の純度の高いものが田畑に投入された場合はどうでしょうか?
元々必要としていたバランスを、肥料によって崩され、理想のカタチに戻そうと働くと仮定したら、肥料分をその土地から排除しようと働くはずです。
約30年近く前に社会科の授業で社会問題になっていた事案に砂漠化と言うものがありました。
化成肥料を多用する事で土地がやせて砂漠が広がっていくと言うものでした。
人間基準、人間都合、人間本位で作物の量産をもくろんだ結果土地をやせさせてしまっているのではないでしょうか?
切り上げ剪定で、無肥料無農薬栽培の道を歩んでおられる道法さんと言う方がおいでです。
道法さんの剪定講習会を受講し、植物ホルモンの働きを学ぶと、なおさらの事肥料が不必要なものであるという事がわかりました。
窒素は植物に吸収されるとジベレリンが増加するという事です。
ジベレリンは植物を活性させ肥大化させるホルモンですが、糖度が低下したり旨味が低下したりと働くようです。
つまり肥料を使うと食味が落ちるというのは必然の話だったのです。
また、エチレンやアブシジン酸などが減少するそうです。
エチレンやアブシジン酸は、病害虫に強くなる抵抗力を上げる物質です。
つまりは、肥料をやることで、植物の抵抗力を下げ、弱らせるから農薬によって防除する必要が出てくるのです。
肥料無しで、どうやって植物が育つのだ?田んぼには稲刈り時に稲わらを戻しているが、籾の部分はそっくり田んぼから、持ち出している。その持ち出しの部分の補てんをしなければ、収穫量が落ちるじゃないか。
と言うのが一般的な見解です。
しかしながら、窒素は空気中に豊富にあるし、特段あえて加える必要はないのです。
それでも納得がいかない方はイメージをお願いします。
植物を育てる時にまず必要なものは、水です。水が無ければ発芽ができません。
その水は、純水ではなく、雨が野山に降り注ぎ土中のミネラルを蓄え、小川や川となり田畑に利用されます。
奥能登では、標高の高い山が無いため水源が乏しく、各所ため池があり利用されています。
要するに、水が命の素であり、常に外から田畑に入り込む水にこそそのエネルギーと栄養素があると仮説します。
だから、肥料を投入しなくても植物は育つのです。
野山を見ればその答えがそこにあります。
誰かが耕し土の中に肥料を混ぜ込んでいるでしょうか?
病害虫に襲われそうだからと、野山に農薬をまく人がいるでしょうか?
誰もまいてはいません。ですが毎年青々と木々は育っています。
誰も耕さず、植物が自ら落とした葉っぱや枯れ枝などが堆積しただけです。
そう、これだけだと自然農でいいのではないか?となってしまいます。
しかしながら、野山には多種多様な植物が入り乱れて生きており、ある程度の生産量を同じ種類の作物で栽培して収穫する事を目的とした農の場合は自然とは違います。
だからこそのたんじゅん農だと思っています。
必要とあらば使えばいい。必要なければ使わなければいいと言う理論です。
(有)川原農産が行うのは、農業であり食糧生産を行う事であり、お客様に安定的に食を供給する事が目的であり使命です。
そしてお客様のお身体がより健康に健全になる食物をお届けする、その最善の方策が無施肥栽培だと考えております。
なぜ?たんじゅん農に向かう?
(有)川原農産で炭素循環農法を取り入れるのはなぜか?
方法と法則の違いは分かるだろうか?
ネット検索をかけると
-
てだて。特に、ある目的を達するための、計画的な操作。
-
1.いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。「熱力学の―」
-
2.きまり。守るべき規範。「―どおりに処断する」
以上のように出てくる
たんじゅん農は、農法ではなく、炭素循環農の法則であるといわれてる。
方法は、その目的に応じて変化しますが、法則においては変化してはいけないものです。その普遍の理論を基にして農と言う生命活動の営みを行い、人類の為の食糧生産を行う生業が、農業であると私は考える。
農作物と言う命を育むに当たり、(有)川原農産では単なるモノを作っているのではないと言う認識の中で、命と向き合い、非常に面倒くさい感覚ながらも、常に一定、常に一様ではなく、その変化を常に感じ取ろうという気が重要となると考えている。
雲を掴むような話、それがたんじゅん農でもある。
計算によって緻密にモノを作り上げる人にとっては、摩訶不思議な話で嫌悪感すら示す人もおると思いますが、(有)川原農産ではその心の部分を一番の重要な部分として考えている。
ただ単なる食糧生産を行うのではなく、生命エネルギーのつまった命を育み、次の命の為にお客様へお届けする仕事、それが(有)川原農産のスタイルであり、たんじゅん農を取り入れる理由である。
たんじゅん農との出会い
炭素循環農法の略が、たんじゅん農。
炭素循環の農の法則であって、農法と言う方法ではない。
自然界における植物たちが、肥料を与えるでもなく、農薬を与えるでもない中で、枯れることもなく虫に食われ甚大な被害を受けているでもない状況を見てそれを畑に落とし込んであげるだけでいいのではないか?と言う発想がある。
最初、そういうのもあるんですね~。そんな程度にしか受け止めていなかった。
この、たんじゅん農をやろうと、弊社に引っ張ってきた人間が、4年半在籍して平成29年2月に卒業し柿農家として独立した陽菜実園園主の柳田さん。
(陽菜実園FBページ:https://www.facebook.com/hinamien/)
元々独立を念頭に弊社に入社し、奥能登無農薬化計画などと言う、まぁ一見ばかげた事を口にしているようなちょっとお調子者?的な感じに受けていたが、
独立の意思は固く、休日や時には有給申請をして県内外の各所無農薬栽培等を行っている農家のところへ出向いたり、研修会に出向いたりと独立に向けた努力を惜しまない人でした。
(※法定通りではありますが、川原農産ではちゃんと有給使えますので、独立志向の方は是非川原農産で働きませんか?!)
柳田さんは、移住して地元の私の先輩と結婚し、奥さんの実家の農地などを使って自分の思い描く農業ができると思っていたが、周りでやっていない農業のやり方に義理両親が納得するわけもなく結果として自分の思い描く農業のカタチにたどり着けない状況を何とか変えたいと考えておりました。
そこで考えたのが、地元で農業を生業として経営している川原農産が、無農薬化に進めば地元が変わる!→地元が変われば義理両親も変わる。こういう縮図を思い描いたようでことある毎にいろんな提案をしてきました。
平成26年3月、私は父から代表権を譲り受け、(有)川原農産の代表取締役に就任しました。
この年は、経営立て直しの為の販売に注力する為、栽培面は父に一任して分業のカタチで会社運営しました。
平成27年産のものに関しては、父もいつまでも体力が持つわけではないとの一言を発したことから私が全責任を背負って栽培計画を考えました。
どの肥料をどの田んぼにどれだけ入れるのか?農薬もどの種類をどれだけ使用するのか?すべてを自己責任において選択しました。
結果、世代交代時の洗礼をしっかりと浴びました。
世代交代すると、初年はたいていは失敗するもんだそうです。
平成26年産(父主体)の収量約8俵前後 → 平成27年(私主体)の収量約6俵台
ここですかさず、元従業員の柳田さんが私に言うのです。
柳田さん「松任で今年無施肥3年目で8俵台の収穫量あったらしいですよ。その人は無施肥の初年が6俵台だったらしいですよ。今年川原農産は、肥料農薬使って6俵台じゃないですか。何が怖いんですか!?」
おっしゃる通り。
これを言われたのが、平成27年11月の事。
そして、やる!と決めたのが平成28年1月。
柳田さんに
私「たんじゅん農やるし、その8.4俵収穫した人に会わせてください。」
といったら、
柳田さん「今!?」
このやり取りは忘れないですね。(笑)
たんじゅん農をお米に落とし込んでやる時に、その当時言われていたのは秋打ち(秋起こし)2回と言われていたので、秋打ちせずに年越しした状態でやると言った私に対しての、今!?だったわけです。(笑)
これが、川原農産がたんじゅん農へ向かうきっかけ、出会いです。