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お米コラム

お米を精米して食べるようになったのはいつから?

お米

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お米と言えば白米が一般的ですが、栄養豊富という事から玄米も注目されるようになりました。
お米を精米して食べるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。

精米は昔から行われている

現在のように、白米だけのお米が食べられるようになったのは戦後と言われています。
しかし、精米自体はアジアから稲作文化が伝わった紀元前350年頃の弥生時代からすでに行われてたようです。

当時は、臼に玄米を入れて杵でついて精米したものを上流貴族や祭祀の際に見かける程度で、その後、奈良時代や平安時代には貴族の食事が白米になり、蒸したり炊いたりと調理法のバリエーションが増えていきます。

農業技術の進歩や新田開発が進んだ室町から安土桃山時代にはお米の収穫量も増え、武士や一般庶民も白米を食べる機会が増えました。
豊臣秀吉が天下統一を成し遂げてからは、中国や南蛮の影響を受けたお米料理も増えます。

この頃まで精米方法は変わらず、臼と杵を使った力仕事でした。
また、白米と言っても今で言う完全な白米ではありませんでした。

江戸時代から大きく変化する米食

お米

江戸時代になると中国から足踏み式の石臼が伝わり、
精米の効率は大幅に向上します。

江戸には人も物もあらゆるものが集まり、米の需要が高まっていくとともにその需要に対応する人的資源も豊富で、食用米の精米は盛んに行われるようになりました。

 また、清酒造りにも石臼を使った精米技術が導入され、日本中にこの方式が広まります。
江戸中期には人力ではなく水車を使った石臼が発明され、明治時代になるまでこの方法で精米が行われます。

動力式の精米機が発明されたのは、明治29年頃の広島です。
農家の長男であった佐竹氏が日本初の動力式精米機を発明し、現在でも精米機トップメーカーのサタケが始まりました。

精米技術は徐々に向上し、戦後から現在のような白米が食べられるようになったのです。

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